画像:WEB魚図鑑より(ヒサビッチャ☆さん撮影)
はじめに
「クロダイの地方名を教えて下さい」と言ったからでしょうか、「うちの地域ではクロダイと呼んでます」といったコメントは少なくなってしまいました。また、「チヌ」という呼び名は釣り具や釣り雑誌等においては頻繁に使われており、「クロダイ」「チン」圏内の釣り人に対して「チヌ」と言ってもふつうに通じる、という現象も鑑みらねばならないかもしれません。少し難しい取りまとめ作業となりましたが、それでもかなり面白いデータが集まりました。以下に提示し、少しだけ考察してみます。
寄せられた地方名
予想通り、「クロダイ」「チヌ」「チン」というのが多かったので、それらの地域を提示してみます。それぞれの混在も多かったので、それも反映させてみました。「WEB魚図鑑」でクロダイの分布は、「北海道以南、琉球列島をのぞく日本各地。」となっているので、琉球列島からのコメントは厳密な意味ではクロダイではない種の呼び名となりますが、地方名の伝播を考える上では貴重なデータとなりますので、ここに含んでいます。
クロダイ 青森県青森市、茨城県、千葉県、静岡県沼津
クロダイ・チヌが混在 東京都、愛知県
チヌ 三重県、大阪府、和歌山県、兵庫県神戸、岡山県笠岡市、広島県福山市・因島・広島市、福岡県、長崎県本土部、大分県、宮崎県、鹿児島県本土部・屋久島・奄美大島
チヌ・チンが混在 佐賀県玄海灘側、長崎県西彼杵、鹿児島県、沖縄県
チン 熊本県、宮崎県延岡市、鹿児島県喜界島、沖縄県知念
クロダイ・チヌ・チンが混在 新潟県
カワダイ 秋田県男鹿市、石川県
その他 山形県庄内(シノコダイ)、千葉県(クロデエ)、新潟県佐渡島(チンデエ)、愛知県名古屋市(ズイ)、三重県志摩~南伊勢(ツエ)、和歌山県(マチヌ)、島根県浜田市(チンダイ)、沖縄県(チングヮー)
特に大型のもの 愛知県名古屋市(ヅナシ)、三重県(ツエ)※、 大阪府~和歌山県(年無し・大介(オオスケ))
※「ツエ」については、三重県志摩~南伊勢ではクロダイの地方名としていますが、「三重県伊勢、鳥羽は当歳魚をカイズ、二歳をシラ、3歳魚を3年、4歳(38センチ前後)からチヌ、年無し(50センチ)以上をツエです。志摩~南伊勢はチヌかツエですね。」:大西秀樹氏コメントより。
と、県内地域で区別されているようなニュアンスの内容をいただきました。
「クロダイ」と「チヌ」の境界線
現代においては「チヌ」という呼び名は全国にかなり広まっています。それと同様に、「クロダイ」は標準和名ですから、「チヌ」「チン」圏内の人たちにも認識されているでしょう。少しその辺を割り引いて考えていく必要はあると思います。それを前提として。
今回の集成における「クロダイ」「チヌ」の境界線は、太平洋側では愛知県あたり、日本海側では福岡県あたりと見ることができそうで、飛び地のように新潟県でも「チヌ」が使われています。太平洋側については、個人的な見解かも知れませんが、興味深いコメントもいただいております※。
※「三重県はチヌ 愛知県はクロダイでした。関西圏以西でチヌとクロダイに分かれるような気がします。」:八巻 直人氏からのコメントより。
※「以外に関東と関西の栄目新潟県糸魚川市に多く有ります 調べて見て」(原文ママ):ささき うるぼう氏からのコメントより。
「チヌ」と「チン」の境界線
意外にも、クロダイ・チヌ以上にはっきりしなかったのが、「チヌ」と「チン」の境界線でした。ザックリと、「チン」は琉球列島、「チヌ」西日本という前提で見てみると、九州に限れば「チン」の北限は佐賀、チヌの南限は沖縄になってしまいました。
「チン」の北限について、確度がより高そうなのは宮崎県延岡市と熊本県です※。「チヌ」が沖縄まで浸透していることについても、興味深いコメントが得られています※。
特記されるのは、新潟や島根でも「チン」と呼ぶ事例が得られたこと。特に佐渡島では「チンデエ」と呼ぶようで、これは「チン」+「タイ(テエ)」という構成も考えられます※。「タイ」→「テエ」を関東訛りと考えれば、佐渡金山開発をめぐる人の動きもあったのかも知れません※。
※「延岡市では、チンです。チヌとは誰も言いません。」:Shingo Suitsu氏示コメントより。
※「熊本県ではクロダイを黒チンと呼びます。25cm以下のサイズをシバチンと呼びます。キビレを白チン(シラチン)と呼びます。」:Nagata Ichiro氏コメントより。
※「奄美群島の徳之島です。リアルですと釣り人の間ではチヌとしか聞きません。沖縄王家が流れ着いた源氏の子孫なのと同じように、こちらには平家の落人が流れて住み着いたようで、都言葉や古語の様な方言が多数残ってます。チヌも同じような理由かもしれませんね。」:Kengo Kitamoto氏コメントより。
※「真鯛をテエと言うので黒鯛=チン+テエではないかと思います。」:祝 雅之氏コメントより。
※「デエとは江戸のべらんめえ口調の流れでしょうか。佐渡金山を運び出した時代からの人の流れの産物!?」:阿部正人氏コメントより。
その他の地方名
「カワダイ」即ち「川の鯛」という事例が、秋田県と石川県から得られました。日本海ということで北前船による伝播の影響も考えられますが、データ数は少ないので何とも言えません。クロダイはマダイに比べて汽水性が高いことは知られていますが、それはなぜ? というところまでは私は知りませんでした。このことについての興味深いコメントも得られています※。
同じ日本海側の山形県庄内からは、「シノコダイ」という地方名が得られました。これについては、藩政時代に遡るエピソードが寄せられています※。
愛知県名古屋市の「ズイ」、三重県志摩~南伊勢「ツエ」には、発音にそれとなく共通性を感じました。「ズイ」にはかなりの定着性があり、そういう名前の竿屋さんがあったとか※。また「ツエ」の語源については、和歌山の方言(古語?)に熟すという意味の「つえる」という言葉があるのでそれ由来ではないか、というお話もいただきました※。
沖縄の「チングヮー」の「グヮー」について。これは漢字で「小」という字を当てるのですが、愛称的接尾語と言えます。東北で「ドジョっこ・フナっこ」って言うのとあまり変わらないので、実質的には「チン」として見て良いでしょう。
※「能登って大型河川はないけど小規模な河川とかがところせましにあって そういった所に梅雨時からクロダイが川に寄生虫落としに川に昇るからカワダイなんやと思いますよ~👍」:松野 和幸氏コメントより。
※「元々、シノコダイとは幼名、チンチン、カイズをさすのですが、クロダイ釣りを藩政の武芸とまで取り入れた当地では、心身を培う気概や風流としてシノコダイ釣りとして定着したようです。」「シノコダイは篠子鯛と充てると何かで読んだことがあります。篠は、細い笹竹。皮を被ったシマシマが幼魚の縞に似ていることから名付けられたとか。成魚になるとシマシマは消えていってしまいますが庄内の城下町・鶴岡らしい趣きの呼び名だなあと。」:阿部正人氏コメントより。
※「名古屋市では一般に黒鯛、チヌ、小型のものをチンタと言います。父親の釣り仲間たちはヅイと言う人が多かったです。大型の物はヅナシと呼んでました。もう無くなりましたが、近所の筏竿専門に製作販売していた店舗の名前も「ずい」でした。」:神谷 寿利氏コメントより。
※「昔、熊野市~和歌山にかけて熟すことを、つえると言ったそうです。例えば柿がつえるとか。なので熟した魚という意味で年無し、老成魚をツエと言ったらしいです。」:大西秀樹氏コメントより。
寄せられた出世名
単独の地方名だけではなく、成長につれて名前が変わる、いわゆる出世魚としての事例を多く寄せていただきました。こちらも私の方で少し調整させていただきました。
茨城県・千葉県 チンチン・カイズ→クロダイ
静岡県
沼津市 チンチン→クロダイ
新潟県
佐渡島 ガメチン→チンデエ
愛知県 チンタ→クロダイ・チヌ
三重県
津市 シンコ(当歳)→ニサ(二歳?)
伊勢・鳥羽 カイズ(当歳)→シラ(二歳)→三年(三歳)→チヌ(四歳)→ツエ(50cm以上)
大阪~和歌山 ババタレ→カイズ→チヌ→年無し・大介(オオスケ)(50cm以上)
福岡県 メイタ→チヌ(40cm以上)
佐賀県
玄界灘側 メイタ(50cm未満)→チン(50cm以上)→チヌ(60cm以上)
大分県 シバチン(手のひらサイズ)→チヌ
熊本県 シバチン→黒チン(25cm以上)
小さいころの名前
まず、「チンチン」は関東に限られていることが分かりました。このことからすると「チンチン」の「チン」の語源は、必ずしも「チヌ」ということではないのかも知れません。子どものころは皆オスだから、という説もあるらしく※、難しいところです。
愛知周辺では「チンタ」が強い定着性をもっており、関東・関西では見られる「カイズ」という名を、決して経ないということも特記されます。
大阪~和歌山における「ババタレ」は、「う〇こタレ」の意味だと思われます。しかしこの場合は、「釣り上げると脱糞する」という意味ではなく、「赤ちゃん」という意味合いが強いのではないかと、他の事例を見ていて思いました。
北部九州は「メイタ」で、これまた強い定着性が認められます。しかし中九州(大分・熊本)では「シバチン」という名称が登場します。この「シバ」というのは、「ヒイラギ」でも出てきた「シイバ・シノハ=椎の葉?」なのではないかと感じました。平たくて小さい魚を葉っぱに例えるのは、小さなメジナを「木っ葉(木っ端)グレ」というのと同じなのではないでしょうか。
※http://kensui.on.arena.ne.jp/index.php?control=syun&action=syuntopcontent¶m3=274 (2021/9/12閲覧)
「チヌ」の語源
広く知られているものとして、大阪湾付近の古名である「茅渟(ちぬ)の海」に由来しているというのがあります。ネット検索で出てきたものを紹介すると、
”チヌ”の語源について調べてみると、和泉の国と淡路の国との間の”茅渟海”(ちぬのうみ) からきているようです。今の大阪湾一帯で多く獲れたことから由来しているようです。
http://kensui.on.arena.ne.jp/index.php?control=syun&action=syuntopcontent¶m3=274 (2021/9/12閲覧)
とあります。
もう少し詳しく言っているものから引用します。
茅渟の海の茅渟とは、関西以西で黒鯛の事を云う。現在の大阪府南部は記紀の成立以前、木国(きのくに=後に紀国)と呼ばれていたが、後にそこから分かれて和泉国(いずみのくに)が置かれている。その和泉国成立以前から茅渟と呼ばれていた地域が存在していた。古代より和泉国(いずみのくに)と淡路国(あわじのくに)の間の海を茅渟の海(後に和泉灘)と云われていたようだ。」「歴史時代ではないが、語源について記紀では神武天皇の日向より大和に東征の時に兄の五瀬の命が傷を負ってこの地で洗った事に由来し血沼(ちぬ)の海とするとしている。ところで茅渟の語についての当て字が色々と存在する。茅渟、血沼、血渟、智怒、智努、千沼、千渟等・・・などと様々である。古くからあつた地名に関しては、その地に住まう人から聞き取りしたものを漢字に表記音で当てはめた物であるからいずれも正しいとするのが、古代、中世及び近世の常識である。従って漢字から連想する意とはまつたく異なるのは当たり前の事でなのである。」「この茅渟の海に多く居た魚が偶々黒鯛であったので、関西以西では黒鯛の事を茅渟(チヌ)と呼んでいると云う事が半ば定説化している。また、チヌという言葉を土着の縄文人の末裔の言葉(アイヌ語)で解けると云う説もある。どちらにとてもチヌと云う地名が先にありきで、後からその表示音を漢字に当てはめたというのが真相のようだ。
http://hekisui.o.oo7.jp/omoi%2002/shinoomi077.htm (2021/9/12閲覧)
とにかく、「チヌ」という言葉が古いのは間違いないことのようで、魚名としての「チヌ」も古くから使われていた可能性もまた低くはないと言えます。大阪を中心にこの言葉が使われ始め、早い段階で琉球列島に辿り着いたことは、まったく考えられない話ではありません。奄美・沖縄には非常に古い日本の言葉が残っていますので、「チヌ」一つを取ってみても重要な研究材料になるはずだと、強く感じた次第です。
いずれにしても、地名がそのまま魚名になるという例は、他にないのではないでしょうか?
コメントしていただいた方々(Facebookにおける登録名そのまま、順不同)
酒井 弘毅さま、Shinichiro Yonezawaさま、上原 藤久さま、和田 俊章さま、大平 高正さま、阿古 賢太朗さま、田中圭さま、津曲勇吉さま、相田 誠さま、谷本頼保さま、桑野 顕さま、白石 俊之さま、戸田 里詩さま、山田 誉大さま、村上 敬也さま、岩見 和彦さま、伊藤正典さま、杉山 豊さま、Shingo Suitsuさま、森山豊さま、森 一路さま、坪内茂さま、ささき うるぼうさま、祝 雅之さま、又吉勲さま、坂下 光洋さま、上間 哲朗さま、安藤 英賢さま、千葉政斗さま、村上 勇太さま、Takuya Nakaoさま、坂本 匡さま、伊藤 成康さま、田山健二さま、日高 秀一さま、Nagata Ichiroさま、黒木 康充さま、八巻 直人さま、Kengo Kitamotoさま、下田 隆生さま、小川 拓さま、阿部正人さま、神谷 寿利さま、深田吉宜さま、大西秀樹さま、Toru Koshiyamaさま、村上 八朗さま、前田 洋さま、松野 和幸さま、織田 将士さま、小川 健一さま、森木 総一郎さま、辻岡 拓郎さま、今田慎一朗さま
投稿者 土岐耕司
原文作成日 2021年9月15日
内容更新日 2024年1月7日
※このページの情報は、Facebookグループ『WEB魚図鑑の部屋』に寄せられたコメントを基にまとめたものです。
WEB魚図鑑 クロダイ
https://zukan.com/fish/internal23